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2014
07.24

やり続けることにした

TOEICで高スコアを目標とすると、いくつかの壁がある。自分にとって最大の壁は950だった。
そして、なかなか壁を越えられない私は、あろうことか満点を取るという自分の目標に疑問を向け始めていた。
そもそもTOEICは自分の英語力を伸ばすために始めたもの。最終的に英語を喋るための一つのツールとして選んだもの。TOEICで満点を取ることは、本来の目標ではないはずだ。
950の壁を越えられない私は、それこそすがるような気持ちで”やらなくていい理由"を求めていた。
スコア自体が英語力を正確に表していないのは明らかだし、満点という点数が流暢な会話を保証するはずもない。当初はスコア900が最終目標であり、そこから次のステップへと進むはずだった。そうだ、満点なんてやってる場合じゃない。はやくアウトプットを主体とした勉強に切り替えるべきだ。満点なんて意味がないし、やってる場合じゃないし、それにもう、もうこれ以上やりたくないよ…
やめる理由を懸命に探しているオッサンは涙目だった。

この行き詰まった状況になるまで、私が何の抵抗もしなかったわけではない。受験勉強やテスト勉強から得た過去の経験を駆使して、950を超えるべく努力していた。これ以上ないと自分で思うほど試行錯誤していた。
そう、このあたりで前提条件として認める必要があると思う。私はこういうテストが嫌いではない。「勉強して何かを乗り越える」「目標をクリアする」。このようなことが結構好きだと言っていい。だから「テスト」や「勉強」という言葉に対する拒否反応はほぼない。そういう点において恵まれていると自分でも認識している。だからこのブログは「勉強嫌いの人間がTOEICで満点を取りました」というものではないし、それは私には書くことができない。 私が書こうとしているのは「比較的勉強好きの人間がTOEICで満点を取るまでの過程」であり、「自分が得意と思っている分野において本当に行き詰まったとき、それをどう乗り越えるか」の話だ。得意分野を得意なままにしておくことは自分の自信を保つのに必要なことの一つだと思う。満点を取るという目標を立ててしまった以上、何としてでもクリアしたことは自信を保つのに大いに寄与したと今にして思う。

その代わりと言えるかもしれないが、私は苦手なものも多くある。例えば、掃除とか片付けることが、かなり苦手だ。幼少期から中年期に至るまで、得意だった記憶がない。はっきり言って全くうまくできない。だから「整理整頓」「後片付け」といった掃除関連ワードに対して拒否反応が働く。全身が自動的に身構える。「ちりとり」、「クリアケース」と言った直接的ではない言葉にさえも何か心に引っかかりを感じてしまう。おそらく私には「散らかっている状態」とか「汚れ」というものがよく見えないのだと思う。無意識に視界に入らないように避けている。
それでも、掃除が得意な人、部屋をいつも綺麗にしている人は決まって言う。「そんなの簡単だよ。物を置く場所を決めておいて、必ずそこに戻すようにすればいいんだよ」 いつも決まって、当たり前のようにそう言う。
「あははは、確かにそうですね」
そう言って私はやり過ごす。一切の反論をせず、これ以上会話が広がらないように気をつけて、そそくさと退散する。
でも心の中では思っている。
”この人は……バカじゃないんだろうか”
負けを認められず、でも他の言葉が見つけられずにそう思っている。
”この人はなんて言うか……バカじゃないんだろうか!”

勉強やテストといった言葉に強い拒否反応を示す人からすれば、このブログで私が言っていることは「バカじゃないんだろうか!」にあたるかもしれない。
言葉では理解できるが、実際に行動に移すことが極めて困難なアドバイスを送る人間。つまり"正論バカ"というやつだ。実際、その通りだと思う。全ての人には届かないのを承知で書いている。そして、ある意味その一人の”バカ”としての困難の歴史を書くのがこのブログの目的でもある。
ちなみに、勉強やテストといった言葉に拒否反応を示す人に対して勉強を教えること自体は、私は大好きだ。一時期そういう子供達ばかりを集中的に教えていたことがあった。私は自分が本当に苦手としていることは、もはや自分の力ではどうにも変えられないほど困難なものだと知っているので、彼らの気持ちはよくわかる。最初の一歩目を踏み出して、その後一歩ずつ進んでいくためには、一切馬鹿にせず、どんな簡単なミスをしても惨めな思いをすることはないとわかってもらう事が何より重要だ。なので勉強が苦手な生徒に向かって「そんなの簡単だよ」とは絶対にいわない。

苦手なことは多いが、英語が好きで勉強が比較的得意な私はTOEICで満点を取ることにきめた。テスト人間として新たにクリアする目標として設定した。しかし、それまでの経験だけで乗り越えられるほどそれは簡単ではなかった。全てを困難と感じないでやり通すことが出来る程のセンスや才能もなかった。そして大きな壁を前に、やめる理由を探した。これ以上やらなくて言い理由を求めた。
しかし、結局やり続けることにした
壁に当たっても最後のところで、そうして続けることに決めたのは、これは自分にとって「譲れない」と感じていたからだと思う。
部屋の状態で家族から小言を言わてもいい。片付けが苦手なのを他人から見下されても構わない。
でもこれだけは自分のために譲れないと、これだけは守っていなければならない砦だと、わかっていたからだと思う。
そして私は、自分のそれまでのやり方を根本から見直すことにした。



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2014
07.22

もう本当にどうしたらいいのかわからなくなった

前回はTOEICを受けてきた中で、自分の中にあったスコアの壁について書いた。
860、900、そして950。
単純に数字を3つ並べてしまうと難易度が分かりにくいが、感覚的には
860<900<<「おーい!」<<950
くらいの違いがある。
860<900<<「あれ?おーい?」<<<<<「もう無理かも…」<<950

心情的に大きな差。950の壁は私にとってそれほどまでに高かった。
ちなみに990もその中に含めるなら、
860<900<<950<「そろそろ?」<<「そろそろだよね?」< 「キター!」となる。950の時と比べたらいかにもあっけないという印象を与えるし、実際そうだった。950を確実に超えたと言える状態になってから満点を取るまでに3回ほどTOEICを受けたが、振り返って見ても それは順調な過程だと言っていい。

そう、私は950という数字に重きを置いている。満点990をとって尚、950の方に執着している。
例えば900や990、あるいはもっと低めのスコアを使って段階的な方法論なり、TIPSを提供することもできるし、実際そうしようかと少し前まで考えていた。だが、 ここにきて考えを変えた。「オッサンの心変わり」というやつだ。

安易に聞こえるかもしれないが、スコア別とか段階的な話を語るよりも、一人の受験者が一番大きな山をどう乗り越えたかを語る方が、ここでは有益になるのではと思っている。より核心の話ができる強い予感がする。
TOEICにおけるスコアの壁は人によって異なるし、自分にとってそれがたまたま950を乗り越える際に訪れたわけだが、その話こそが私にしかできないことであると思うし、このブログを通じて本当に言いたいことの核心部分である。

ここでいう核心とは、目標に対して自分がやるべきこと。本当に取り組むべき問題のことだ。
例えば、ETSから送られてくるアビリティーメジャー(通称アビメ)を目の前に、「パート3、4が全然ダメだよ」とか、「文法、語彙がアハハハ……」と課題を見つけることはできる。教材やネット情報を通じて、戦略を立て取り組むことはその気になれば容易だ。情報は山ほどあるから、どう切り捨てていくかの方がむしろ問題になる。
だが、一定以上の高いスコアを目標にした時、困難な状況が時々、あるいは頻繁に訪れることになる。そして場合によっては、それまでのやり方ではどう考えても通用しないことがある。
それこそ投げ出したくなるような瞬間。

私には受験や定期テストを通じて培ってきたそれまでのやり方があった。弱点を見つけ、対策を立て、そして勉強する。問題点を認識し、改善すべく取り組む一連のルーティーン。お馴染みの、そして困難がコントロール下にある限りはむしろ快感とさえ言える反復作業。
そうした自分なりのやり方を持ってTOEICの800、860そして900の壁も乗り越えてきた。

しかし、950を前に私は動揺した。1年近く経っても一向に改善の兆しが見えない状況で大いに混乱していた。外面では平静を装っていてもオッサンはアタフタした。
そしてあまりに進歩のない状況に、私は出してはいけないものを取り出そうとしていた。「そもそも論」というやつだ。目標とするスコアがあまりに遠いため、自分の努力の問題ではなく設定自体に問題があるのではないか、と考え始めた。

そもそも目標自体に無理があったのではないか。そもそも自分にはまだ早かったのではないか。そもそも、950とはなんだろうか。そんなスコアに意味があるのか? そもそもTOEICとは一体なんだ? えっ? そもそも、ソモソモって何だ!? それを言うならモソモソってなんだ?! 言ってみろ?えっ、どうなんだ!
越えられない壁を前に、私は混乱した。勉強の方向を見失い、「そもそも論」、「ご都合原理主義」が私の中に広がっていった。それはゆっくりと確実に頭の中を支配し始めた。

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2014
04.12

950という壁

TOEIC満点に至るまでの過程について、書いておこうと思う。備忘録としての記事でもあるのだが、自分が歩んだ過程がこれから同じ道をたどろうと考える人たちにとって一助となればという気持ちが強い。
先達の功績が多いに役立ったように、自分の記事がTOEICの学習者にとって一つの指針となればと思う。勉強方法に疑問を持つ人達 、あるいはモチベーション維持に苦心する人たちのささやかな道光となるべく、ここに私の通ってきた満点までの過程を記しておこう・・・・と、謙虚キャラの戯言はここまでだ!
そういう「いい人」感は全然いらない!

記事にする理由は至極簡単。
俺→書きたい→んじゃ、書くか
これだけ。
俺→いつ書くの?→古いよ!とにかく書くよ!堅苦しくないやつ書くよ!

放っておくと前口上がさらに余計なものとなりそうな予感がするので、早速本題へ。

壁は三つあった。
ここでの壁とはTOEICのスコアのことだが、私にとって大きく立ちはだかった最後の三つの壁。
860、900、そして950。
これらは単なる数字で、つまり概念上の壁だ。本人や社会が強く意識して始めて成り立つものと言える。

スコア860は作成元が自ら勝手に定めたAクラスというもので、ここを超えるとネイティブうんたらかんたらというやつ。
これが本当に意味があるものなのかわからないし(多分ない)、「860です」と言ったところで相手が納得するかもわからない(まずない)

900は数字的にわかりやすい大台で、目標にしている受験者も多いと思う。対外的なインパクトもあるし、一区切りして次の英語学習へと移るための基準としてもいい。いろいろと「使える」数字だ。そう、私もここでやめるはずだった。

そして私にとって最後の、そして最大であった950という壁。
これがTOEIC界隈で壁として認識されているものかどうかわからない。そもそもここまで来ると志願者の絶対数が少なくなっているので、声が届きにくいという問題もある。
「いつまでたっても950の壁が…」なんて話は聞いたことがない。「950を60日で超えるための方法」なんて本は絶対にない。
にもかかわらず、それは確かに存在した。確固たる壁として私の中に現実にあった。「950の壁がー」と言って涙目になっていたおっさんは実際にいたのだ。

続く

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