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2014
07.22

もう本当にどうしたらいいのかわからなくなった

前回はTOEICを受けてきた中で、自分の中にあったスコアの壁について書いた。
860、900、そして950。
単純に数字を3つ並べてしまうと難易度が分かりにくいが、感覚的には
860<900<<「おーい!」<<950
くらいの違いがある。
860<900<<「あれ?おーい?」<<<<<「もう無理かも…」<<950

心情的に大きな差。950の壁は私にとってそれほどまでに高かった。
ちなみに990もその中に含めるなら、
860<900<<950<「そろそろ?」<<「そろそろだよね?」< 「キター!」となる。950の時と比べたらいかにもあっけないという印象を与えるし、実際そうだった。950を確実に超えたと言える状態になってから満点を取るまでに3回ほどTOEICを受けたが、振り返って見ても それは順調な過程だと言っていい。

そう、私は950という数字に重きを置いている。満点990をとって尚、950の方に執着している。
例えば900や990、あるいはもっと低めのスコアを使って段階的な方法論なり、TIPSを提供することもできるし、実際そうしようかと少し前まで考えていた。だが、 ここにきて考えを変えた。「オッサンの心変わり」というやつだ。

安易に聞こえるかもしれないが、スコア別とか段階的な話を語るよりも、一人の受験者が一番大きな山をどう乗り越えたかを語る方が、ここでは有益になるのではと思っている。より核心の話ができる強い予感がする。
TOEICにおけるスコアの壁は人によって異なるし、自分にとってそれがたまたま950を乗り越える際に訪れたわけだが、その話こそが私にしかできないことであると思うし、このブログを通じて本当に言いたいことの核心部分である。

ここでいう核心とは、目標に対して自分がやるべきこと。本当に取り組むべき問題のことだ。
例えば、ETSから送られてくるアビリティーメジャー(通称アビメ)を目の前に、「パート3、4が全然ダメだよ」とか、「文法、語彙がアハハハ……」と課題を見つけることはできる。教材やネット情報を通じて、戦略を立て取り組むことはその気になれば容易だ。情報は山ほどあるから、どう切り捨てていくかの方がむしろ問題になる。
だが、一定以上の高いスコアを目標にした時、困難な状況が時々、あるいは頻繁に訪れることになる。そして場合によっては、それまでのやり方ではどう考えても通用しないことがある。
それこそ投げ出したくなるような瞬間。

私には受験や定期テストを通じて培ってきたそれまでのやり方があった。弱点を見つけ、対策を立て、そして勉強する。問題点を認識し、改善すべく取り組む一連のルーティーン。お馴染みの、そして困難がコントロール下にある限りはむしろ快感とさえ言える反復作業。
そうした自分なりのやり方を持ってTOEICの800、860そして900の壁も乗り越えてきた。

しかし、950を前に私は動揺した。1年近く経っても一向に改善の兆しが見えない状況で大いに混乱していた。外面では平静を装っていてもオッサンはアタフタした。
そしてあまりに進歩のない状況に、私は出してはいけないものを取り出そうとしていた。「そもそも論」というやつだ。目標とするスコアがあまりに遠いため、自分の努力の問題ではなく設定自体に問題があるのではないか、と考え始めた。

そもそも目標自体に無理があったのではないか。そもそも自分にはまだ早かったのではないか。そもそも、950とはなんだろうか。そんなスコアに意味があるのか? そもそもTOEICとは一体なんだ? えっ? そもそも、ソモソモって何だ!? それを言うならモソモソってなんだ?! 言ってみろ?えっ、どうなんだ!
越えられない壁を前に、私は混乱した。勉強の方向を見失い、「そもそも論」、「ご都合原理主義」が私の中に広がっていった。それはゆっくりと確実に頭の中を支配し始めた。

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